昨日に続く、歴史探索でご紹介するのは、
韮崎市に所在する「願成寺」「武田八幡宮」そして「為朝神社」です。

まずは、願成寺。
こちらは甲斐武田氏の祖、武田信義公の菩提寺です。
石段脇には秩父三十四観音石像がお出迎え。
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石段を上ると、立派な山門が建っています。
山門には”鳳凰山“と書かれている山号額が掲げられています。
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境内の様子。
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前本堂の老巧化により、平成27年に建て替えられた本堂。
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武田信義の御廟所(ごびょうしょ)と書かれた案内板を奥へ進むと、信義公の墓所があります。
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中央塔が信義公、向かって左が夫人、右が乳母姫の墓塔と伝えられています。
信義公は信玄公から遡ること十五代前の先祖になります。

続いて、武田八幡宮。
ここは甲斐武田家の氏神として尊崇を集めた神社です。
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石段を上ると神楽殿(左)さらに拝殿(中央)と勝頼夫人願文(右)があります。
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拝殿の奥に本殿がありますが、そちらは撮影できませんでした。
三間社流造檜皮葺の本殿は、武田信玄公が再建したもので国の重要文化財になっています。

ふと、脇に立つ案内板が目に入ります。
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今回、最後にご紹介する 武田八幡宮末社・為朝(ためとも)神社です。
こちらは、疫病退散・厄神除け・子供の健やかな成長を祈願する神社で、鎮西八郎為朝公を祀ったものです。
源為朝は、平安時代末期の武将で、身長2mを超える巨体に強弓の使い手とされ、九州に追放された後、一帯を制覇して鎮西八郎を名乗ったといわれています。
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鎮座する為朝像は、天保12年(1841年)に造られた木像です。
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[為朝伝説](武田八幡宮HPより引用)
「保元の乱(1156年)に、父に従って奮戦したが敗れて捕らえられ伊豆大島に流されました。
ある時一人の老翁が筵に乗って流れ着き、「我は疱瘡の神で、先ごろ京都で疱瘡を流行らせこの島に流れてきた」という。
これを聞いた為朝は声を荒げて「我この島にありて万民を撫育し国家安全を守っている、汝早く去るべし」と、弓矢を向けると、老翁はその弓勢に恐れて低頭再拝して退散した。
その後大島で疱瘡は発生しなかったという。
それから、疱瘡除けの神として信仰されるようになりました。」

勇ましい伝説ですが、疫病を治す薬のない時代、人々はどんな思いで祈りを捧げたのでしょうか?
そして現代の今、同じようにコロナ禍の収束や感染症除けを祈願する参拝者が数多く訪れている場所です。


二日間に亘り、甲斐武田家にまつわる名所の一部をご紹介しましたが、いかがでしたか?
市内周辺には他にも所縁の名所が沢山あります。
今年は、武田信玄公生誕500年を迎える年です。
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詳しくは、公式HP内情報ページをご覧ください。(リンク